人生で成長したと思えた瞬間

昔の話をします。
同じ小学校だった友人がいました。
その子とは親友のように仲が良かった、というわけではありませんが、大勢の友人たちと一緒に何回も遊んだりしました。
私自身その子のことは好きでしたし、一緒に居てとても楽しいと感じていました。
そして同じ中学校へ進学し、同じ高校へも入りました。
その高校では同じ中学校だった友人が、私とその子を含め7人居て、いつも一緒に帰ったりして先生からも「家族みたいだな」とからかわれたりしていました。
しかし高校3年になって、その子と一緒のクラスになりました。他の友人は全員別のクラスでした。


私はその年、その子と喧嘩別れをしました。


私自身その子のことは好きでした。でも彼女はとてもマイペースで、気に入らないことは「気に入らない」とはっきり口に出す子でした。
「言いすぎじゃない?」と思っても、「気に入らないことは気に入らない。言わないで我慢してるほうがお互いにとっても良くない」と、自分の意見を曲げませんでした。実際、その子も自分に気に入らないことがあるなら言って欲しいと言っていました。でも私は、本人に対して「あなたのココが嫌」なんて言う事が出来る性格ではありませんでした。
今になって言うと、3年でクラス割りが決まってその子と一緒のクラスになったとわかったとき、やっていける自信がありませんでした。その子のマイペースさに、ストレスが溜まっていたときも多少あったからです。
さらに、その子は学年で一番の成績でした。時には授業中に全く別の勉強をしていることもあり、自分にとって最も効率の良い勉強の仕方を知っている子でした。
そしてその子は母子家庭で、お姉さんが一人居ます。お姉さんも昔はとても勉強が出来て、その子はよくお姉さんに勉強を教わっていたそうなのですが、その時期お姉さんは夜まで遊び歩いて全く家族のことを考えていなかったそうです。その子にお姉さんの愚痴を言われた時私は「説得すればお姉さんもわかってくれるよ」と慰めたのですが、「気休めなんかいらない。あなたに私の気持ちなんか分からない」と突っぱねられてしまいました。
私は彼女に、どうしてそんなに勉強するのか問いかけたことがあります。彼女の答えはこうでした。
「女手一つで私と姉を育ててくれた母に楽させてあげたいから看護婦になる」
医大に進学しようと決めていた彼女の意志はとても強かったです。高校3年になった彼女は医大に受かる願掛けのため、携帯を新しく変えたり、好きだったゲームも一年間封印していると言っていました。
最初は私も応援していました。本当に頑張っているのが伺えて、邪魔しないでいたいとも思いました。
でも、だんだんとそれが苦痛になってきたのは9月頃でした。
勉強も追い込みに入り、皆がピリピリしている時期です。その子も愚痴が増え、俯くことが多くなり、何をやっても楽しくなさそうでした。
「これが終われば楽になれるから」と何度励ましても「そんなこと考えられない。今が苦しい」と元気になるどころか、ますます陰気になっていきました。彼女は本当にはっきりという人間で、時には本気で「バカじゃない?」と言ってくることもありました。
私は私で「自分が励ましても元気になってくれない。私はなんてダメな人間だ」と落ち込むし、彼女は日を追うごとに不機嫌になっていくし、悪循環の毎日でした。
そして私たちをもっと追い詰めていたのがクラスの環境です。私たちは常に二人で行動し、二人で会話をしていました。同じクラスで他に友人が居なかったわけではなかったのですが、その時期になると完全に女子がグループ化して、他のグループに入るのが躊躇われていたのです。
私たちのクラスは「男子ほとんど全員と男子に人気の女子数人」グループと、「もてない男子」グループとその他数人ずつの女子グループに分かれていました。その数人ずつのグループも個別化していてはっきりとクラス内で線引きがされていました。
そしてある日、今考えればほんの些細な出来事で、私たちの「友人」というか細い糸が完全に千切れてしまったのです。千切ったのは私のほうなのですが、それまでの彼女の愚痴や他人に対する悪口、そして私に対する遠慮のない態度が我慢できなくなったのです。その日の昼食は他の子と食べ、完全に彼女のことを無視したのです。
そして数日が経ちました。私の方では彼女と話をする気は全くなくなっていましたが、やはり彼女の反応が気になっていました。
ですがある授業の時間。その子は他人伝いに私と会話をしてきたのです。あくまで自分とは話をしたくない彼女の態度に私は完全に切れました。
その日の夜、私は彼女にこうメールしました。数年経った今でも、文面ははっきり覚えています。


「直接話もしないなんて、最低だと思わないの?ま、思ってないからしたんだろうけど。」


そして彼女から返ってきたメールはこうでした。


「私は別になんとも思っていません。あなたとは気が合わなかっただけのこと。さようなら。」


彼女のメールのほうは読んですぐに消したのでよくは覚えていませんが、最後「さようなら」と書かれていたのは今でもはっきりと覚えています。
このメールを読んだあと、私はこのメールとそれ以前に来ていた彼女からのメール、そしてアドレスや電話番号など彼女に関するもの全てを消しました。
その次の日から卒業まで、私は別の人と行動し、昼食を食べ、話し、残り少ない高校生活を過ごしました。


今思えば、本当にバカなことをしたと思います。上に書いてある些細なことというのは、私が彼女に貰った手作りお菓子を食べた感想を言わなかったこと。
その子はもともとお菓子作りが好きで、勉強の合間に気分転換に何度もお菓子を作っては学校に持ってきてくれていました。そのお菓子はとてもおいしくて私はいつも「おいしかった」とお礼を言っていました。
ですが、その時もって来てくれたお菓子(確かチーズケーキでした)を、私は食べたのですがお礼を言っていませんでした。受験を控え不機嫌な彼女に、私は話しかけ辛くなっていたからです。
チーズケーキを持ってきてくれた数日後に「ねえ、あのお菓子どうだった?」と笑顔で聞いてきた彼女に、私はつい「え…」で止まってしまいました。急に振られたのでなんと言っていいかわからず固まってしまったのです。あの時すぐに「うん、おいしかったよ」と言えていれば人生は変わっていたのでしょうか。彼女は「もういい。もう作る気失せた」と言って去っていきました。私は追いかけたのですが、無視されてしまいました。私が「友人」を断ち切ろうと思ったのはその瞬間です。
今にして考えてみれば、他の友人にも迷惑をかけたと思います。縁を切ったあとも私たち7人は何度も勢ぞろいしました。ですが私を彼女は全く話をしなかったのです。もともとその7人の中でも良く話す人、話さない人がなんとなく決まっていたからでした。
私たちの事情を知っている人もいれば知らない人もいました。7人のうち何人かには直接話した人もいました。その人たちは私たちのことをどう思っていたのでしょうか。
別れたあとしばらくはせいせいしていたのですが、卒業して専門学校に行って、あのときのことを思い出すととても心が痛くなりました。私は自分で言うのもなんですが人に嫌われるのがとても怖くて、自分を犠牲にしてでも友人を楽しませたくて、バカなことも沢山する人間でした。でもそれくらい、人を嫌うのが嫌だったのです。そして自分のことも嫌って欲しくないと思う人間だったのです。
そんな私が初めてした喧嘩別れでした。後悔でいっぱいでした。でもあの時あの選択をしていなかったら、私の心が壊れていたかもしれません。
彼女と別れてから、彼女が出てくる夢を何回も見ました。夢の中で私たちは最初お互いを無視しあっているのですが、話がうまい具合に進んで、私たちは和解するのです。「あの時はごめんね」「私が言い過ぎた」「ずっと後悔してた」と小学校のときのように元通りの仲になるのです。
でも所詮夢でした。目が覚めると「ああ夢か」ととても悲しく、寂しくなりました。夢から覚めるたびに「やっと仲直りできたと思ったのに。謝れたと思ったのに」と激しく後悔しました。
自分でした選択なのにこんなに後悔するなんて初めてでした。別れたときにもう元には戻れないと感じたからこそ、その分数年経って自分はなんてバカなことをしたんだろうと強く思ったのです。
ふとした時に、彼女のことを思い出しました。向こうはどう思っていたんだろう、今どう思っているだろう、今何をしてるだろう、医大に行けたのかな、頑張ってるかな、無理してないかな、と心配でたまらなくなるのです。
思えば彼女は大事な受験の時期だったのに、私みたいな人間とよくいられたものだと思います。私はと言えば高校受験で脳みそを使い果たし、高校に入ってもゲームばっかりしていて、数学4点、生物17点であわや留年などの強者でした。こんな奴と居たらやる気が失せるとは思わなかったのでしょうか。頭が悪い奴だなとは思わなかったのでしょうか。碌に慰めることも出来ない悪い影響ばかり与える人間なのによく一緒にいてくれたと思います。むしろ別れたくてしょうがなかったのではと今でも思います。


そして再会のときが訪れました。小学校の学年単位の同窓会です。私はもちろん参加しました。でも彼女が来るのかどうかは当日まで分かりませんでした。幹事に聞こうとも思いましたが、個人的過ぎるのでやめました。
同窓会には沢山の友人たちが参加していました。仲が良かった人も良くなかった人も。何年も会っていなくても一目でわかる人もいれば全然分からない人もいました。彼女はやはり参加していました。
私はもちろん話しかけることなんて出来ません。運良く別のテーブルになり、別の人と話し、そのまま何事もなくその日が終わるかと思いました。
でもやっぱり彼女のことは気になっていました。何度も夢に見るくらいです。仲直りしたくてたまりませんでした。この日を逃したら次は何年後に会えるのか分かりません。家自体は結構近所で偶然会う確率は低くはないのですが、その時に話しかけられるとも思わないし、ますます気まずくなっていそうでした。
でも運命の時は訪れました。私がたまたま席を移動したときに、彼女が隣に座ったのです。そして普通に「あれ〜?鞄どこだろう?」と話しかけるように呟いたのです。そう、私は偶然にも最初に彼女が座っていた席に座っていたのです。鞄は私のすぐ横にありました。
私は彼女に、それまでの人生が何もなかったかのようにはい、と鞄を差し出しました。
そして普通にお礼を言う彼女に私は思わず言葉が出ました。「あのね、ごめんね」と。
彼女はごく普通の態度でした。愚痴も悪口も言わない、小学校のときの彼女のままでした。
それから少し話をしました。高校のときの話はしませんでした。今何をしているとか、どこの大学に行っているとか、他愛もない近況でした。
そして同窓会が終わり、皆が解散するとき、私と、彼女と、私たちの事情を知らない違う高校だった友人たちと数人になりました。私はそこで改めて謝りました。「本当にごめんね、あの時の私はどうかしてた、すごく後悔していた、何度も仲直りする夢を見た、その度に後悔してた、ずっと謝りたかった」思いつく言葉、夢の中で繰り返し言った言葉、言いたかった言葉、全部を吐き出しました。
彼女は聞き終わったあと、笑っていました。「私もバカなことをしたと思ってるよ。あの時はお互い若かったから仕方ないよね」と答えてくれました。
私はその言葉で、まるで神にでも許されたかのような気持ちでした。ただただ気持ちがすっきりして、心が青空のようになって、脳と体が軽くなって、肺の中に溜まっていた生温くてどろどろしていたものが、安堵のため息と一緒に全部出て行ったような気持ちでした。言い過ぎかもしれませんが、本当にそんな気分でした。視界がクリアになったのを今でも覚えています。
私は許して欲しくてたまらなかったのです。バカなことをしたと強く後悔していました。その後悔は他の誰に言っても解決しません。本人に直接言って、本人の口から「大丈夫だから、後悔しなくていいよ」と言ってもらえて初めて解決するものだとその時やっと分かりました。
周りで聞いていた友人たちはもちろん私たちの間で何があったのかは知りません。私が突然謝罪を始めて戸惑っていたでしょう。でも「何があったのか分からないけど、とにかく仲直りできて良かったね」と言ってくれました。その言葉で私は本当に彼女と仲直りできたのだと実感しました。夢の中ではそんな言葉は誰も言ってくれませんでした。彼女が今までどおりに接してくれるようになって、自分の中で勝手に仲直りしたものだと思い込むばかりでした。
別の友人のお父さんの車で一緒に帰りました。車の中はとても楽しい話ばかりでした。家に帰ったあと、私は全てを親に話しました。「時間が解決してくれたんだね」と言ってくれました。


人生の中で本当に辛くてどうしようもない選択をするときは沢山あります。でも私は環境がガラっと変わってしまうのがとても怖くて、いつも安全圏で物事を決断していました。間違えてもなんとかなる範囲でした。
こんな思い切った決断をするのは初めてで、こんなに後悔したのも初めてでした。
でも私の場合、本当に時間が解決してくれたんじゃないかと思っています。その時はどうしようもなくても、時が経ってバカなことをしたと自分で反省し、さらに本人に許してもらい、全てが元通りになったわけじゃないけど、また前のように、もしかしたらそれ以上に仲良くなれたかもしれない。
この件に関しては、自分にとってはとても良い経験になったのではないかと思っています。経験で片付けるのもどうかとおもいますが、結果的に自分を大きく成長させたと思います。またこんなことを繰り返してはいけない、そのためにはどんなことをすれば良いか、どんな気持ちでいれば良いか、何を考えるべきか、誰のことを考えれば良いか。自分一人で生きているのではない。誰かがいてこその人生だ、と。
同じことが起きた時、繰り返さない自信はないけれど、こういう経験をしたおかげで、自分本位の考え方は少なくなるような気がします。また、我慢するだけでは良くないこともしっかり学びました。
好きだったはずの友人なのに別れてしまい、自分で決断して別れたはずなのに後悔して、謝って、仲直りしてまた好きになる。
こういうことがあって、人は本当にその人のことを好きになるんだと実感しました。今、もう一度その子と高校3年をやり直せと言われても、私は楽しく過ごし切る自信があります。向こうが何も覚えていない本当の高校3年生でも。
私自身、あの時は言葉が足りなかったと思います。嫌なことは早めに嫌と言っていればなんとかなったかもしれません。落ち込んでいるときもう少し違う言葉をかけていればこんなことにはならなかったかもしれません。
でも、それは決してあの時には知り得なかったことです。今になって初めて言葉が足りなかったと気づくのですから、当時どんな言葉をかければいいか、そんなことわかりもしないのです。人生とはそういうものです。
逆に言えばあんなことがあったから、今の私はあの時言葉が足りなかったと思えるのかもしれません。別れていなかったら後悔もしていなかったし、言葉が足りなかったと気づくこともなかったでしょう。ただただ苦痛の高校3年を過ごし、何も学ぶことなく彼女とは普通の関係のまま卒業し、卒業したことで少しはストレスが緩和され、元通りの仲になっていたことでしょう。
それを考えると、別れたことが良かったのか悪かったのか、はっきりと決め付けることは出来ません。ただ言えるのは、私はあの時のことを本当に後悔しましたが、謝り仲直りをした今となっては結果的にとってもいい事だったということです。
内容が内容だけに人に喧嘩別れを薦めることなど出来ませんが、場合によっては私のようにいい方向に行くこともあるのです。
楽しかった、とはとても言えませんが、自分が人生で経験した「学校では教えてくれない一番の勉強」だと思っています。